一般社団法人半導体産業人協会


SSISコミュニティ活動(趣味の会)
歴史道「古甲州街道」と「鎌倉街道・山の道」を辿る
「秋川むかし道ハイキング」の報告

日時

12月9日(金)
9時現地集合(秋川駅北口)  15時現地解散(武蔵増戸駅)

案内役

栗原岩雄/090-3345-0126
ウイークデーなので通勤客が行き交う中を無事9時前に全員集合。駅前にファミマで弁当を調達

参加者
(順不同・敬称略)
栗原岩雄、金原和夫、野澤滋為・恭子夫妻、高橋令幸、島 亨、(計6名)

はじめに

鎌倉時代以前の「甲州街道」は、「武蔵府中」(府中市)から「甲州府中」(塩山市)を結び、多摩川、秋川から奥多摩の尾根道をたどり、大菩薩峠を越えていた。
この道は、現在は「古甲州街道」と呼ばれ、江戸時代も「甲州裏街道」として利用されていたとのことである。
また、秩父の武士が 「いざ鎌倉!」 という時、青梅を通って鎌倉へ駆けつけたという「鎌倉街道・山の道」が、秋川で交差して、一部、二つの古道が重なっている。
この「古甲州街道」を辿り、五日市カントリーに突き当たるところで「鎌倉街道・山の道」と重なる むかし道を辿り、武蔵増戸駅に至る「秋川むかし道ハイキング」に出かけた。

コースへ

小雨決行の触れ込みながら、当日は快晴そのもの気温も風向きも将にハイキング日和でした。

―秋川駅北口にて―

案内役の栗原さんの説明を聞きながら歩き始める。
ここあきる野市は“秋留野”“秋留っ原”と呼ばれて縄文時代・石器時代からの住居跡や遺跡が多く見れれ、ジオパークの候補地にもされているという。

―福徳禅寺・千代鶴酒店―

―坂本龍之介敬慕碑・圏央道―

福徳禅寺、千代鶴酒店の横を通り秋川神社を横目に見て、圏央道の下で秋川を渡る。 栗原さんの誘導でトンネル横手の入口から秋川丘 陵ハイキングコースへ誘導してくれた。最近入口が変り分り難く前日下見をしてくれた由。

―秋川丘陵入口からの登り・二条城跡で休憩―

いつの雨水に濡れたのか杣道、野良道、尾根道を進み、二条城跡のベンチで小休止。さらに尾根道(古甲州街道)を進み、眼下にGMG八王子カントリーを見て雹止山(ヒョウドメ)(海抜264m)、雹止神社へ至る。

―案内表示・ゴルフ場―

―歩く・眺める―

―雹止山(ヒョウドメ)・雹止神社―

―畠山重忠伝説の駒繋石・周辺の豪農―

歴史に弱いボクには分からぬが中世からこの地区が重視され豪農が多いという。

ランチ休憩

峠から鎌倉街道交差点を曲がり、畠山重忠伝説の駒繋石、御前石の前を五日市カントリーを眺めながら鎌倉街道・山の道を秋川へそそぐ峡谷にかかる網代橋を渡り禅昌寺へ。ここで昼食。野澤夫人の入れてくれたホット・コーヒーの美味かったこと、感謝!

―網代橋・禅昌寺―

旧鎌倉街道・山の道を経て弁天山展望台へ。一服したとはいえ、山の道はそこそこ険しく楽しく

―弁天山から遥かに望む―

―弁天洞窟・洞内のお地蔵さん―

弁天山頂上から“弁天洞窟”“貴志島神社”本宮を経て下る。尾根道なのに落ち葉がたっぷりでサクサク、さらさら、少し風が出てきて落ち葉がその風に舞って、ビデオ撮影すると風流至極である。
栗原さんはあきる野市伊奈に住んでいるそうだが、昔、信州伊奈から伊奈石の職人が移り住んできたそうで、信州伊奈生まれのボクには不思議なご縁を感じた次第である。

さらに道を下って、先程、氏子が年末すす払いを終えたばかりの鳥居前で記念撮影した。
このあたりは棚田が残っているが、近年、イノシシの被害が大きいとすす払いのおじさんが嘆いていた。
秋川に下り網代橋まで古甲州街道と鎌倉街道・山の道の重複している道を歩く。清流の秋川にはキャンプ地も多く、夏には大いに賑わうそうである。さらに横沢の沢には今でも蛍が出てくれるという。
網代橋より武蔵増戸駅までの途中、金原さんが打ち上げにコーヒーを飲もうと提案、生憎コーヒーショップはないと蕎麦屋へ入り込んだ。

当然、コーヒーならぬビールでの打ち上げと相成ったが、時間切れで美味い信州そばにありつけなかったのは残念であった。
歓談しながら、武蔵増戸駅まで歩き15時過ぎに解散、有難うございました!

―すす払いした“貴志島神社”の前で―

―棚田・秋川の清流―

打ち上げ会

―楽しく打ち上げ―

―武蔵増戸駅―

小春日和の初冬の今日、充実した一日を有難うございました。

おわり(文責 島  亨)


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